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石灰乳密度,カルシウム

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酢の歴史は文明と同程度に古く、酢酸産生菌はいたるところに存在する。 そして、ビールやワインなど酒を醸造する文明は、アルコール飲料を大気にさらすと、自然に酢ができることを発見することになる2。

石灰乳

紀元前、ギリシャの哲学者テオプラストスやローマのウィトルウィウス、プリニウスは酢が金属に作用して芸術に有用な顔料、たとえば鉛白(塩基性炭酸鉛)やビリジリス(酢酸銅(II) を含む銅塩の緑色の混合物)となることについて著述している34。 また、酢はその時代にはローマでは治療の目的2、エジプトでは死体の保存5に用いられていたともされている。 古代ローマ人は酸っぱくなったワインを鉛の壷で煮沸すると、サパあるいはデフルタム(英語版)と呼ばれる非常に甘いシロップができることを見出している。 サパやデフルタムの甘さは含まれる酢酸鉛(II) によるもので、その物質は鉛糖 (sugar of lead) とか土の糖 (sugar of saturn) と呼ばれ好まれたが、ローマ貴族の間で鉛中毒を引き起こした6。

発見と研究8世紀にジャービル・イブン=ハイヤーン(ゲベル)は初めて酢の蒸留によって酢酸を得ている7。

またルネサンス時代には、錬金術師たちは酢酸銅(II) などの金属酢酸塩を乾留して氷酢酸を製造した8。

最初にそのような製法で酢酸を作り出したのはバシル・バレンティン(英語版)とされている2。

16世紀のドイツの化学者アンドレアス・リバビウス(英語版)は、氷酢酸の製法と、得られた氷酢酸と酢との物性の比較について著述している8。 そのように、酢の中には水が存在するため物性が酢酸と異なることから、氷酢酸と酢の中の酸は別の物質であると長く信じられていたが9、18世紀になるとフランス人化学者のピエール・エディ(英語版)により両者が同一であることが示された1011。 1845年にドイツ人化学者のヘルマン・コルベは無機物から有機物である酢酸を合成できることを示した12。

その反応は、まず二硫化炭素から四塩化炭素への塩素化で始まり、次いでテトラクロロエチレンへの熱分解、そしてトリクロロ酢酸への水性塩素化、最後に電解還元による酢酸の生成、というものだった13。 この結果はフリードリヒ・ウェーラーの尿素合成による生気論の否定を決定付けた14。 一方ルイ・パスツールは1862年に酢酸菌を発見し、酢の醸造に利用されるようになったが、得られる濃度が低いため工業用の酢酸の製造には適していなかった15。 酢酸の精製・濃縮工場(1884年)日本語の「酢酸」は江戸時代後期に宇田川榕菴が著書舎密開宗で用いたのが最初である25。 オランダ語 azijnzuur の訳語であり、これはさらにドイツ語 Essigsäure、英語 acetic acid の訳語であった。

これらの名称はそのまま現代でも使われ、acetic acid や「酢酸」はIUPAC命名法における許容慣用名26かつ優先IUPAC名 (PIN)27 およびその訳語である。 IUPAC系統名は「エタン酸」ethanoic acid であり28、これは母体化合物「エタン」 ethane にカルボン酸官能基を表す接尾辞「酸」 -oic acid を付加したものである。

有機化学ではアセチル基 CH3C(=O)− の略号 Ac を用いて文章や化学式中で AcOH または HOAc と略記される。 酢酸のエステルや塩は英語ではアセテート(アセタート) acetate と呼ばれる。

カルシウム

たとえばエチルエステルの酢酸エチルは ethyl acetate、アンモニウム塩の酢酸アンモニウムは ammonium acetate である。

純粋な酢酸は室温が低いと固体になり、外見が氷に似ていることから「氷酢酸」(glacial acetic acid) とも呼ばれる29。 英語 acetic acid の語源は酢を意味するラテン語 acetum と「鋭い」を意味する acer に由来する3031。

石灰乳

ここから派生して「アセト」acet(o)- の語は酢酸から得られたり構造が類似する化合物などにも用いられる。 たとえばアセトン、アセトニトリル、アセトイン、アセトフェノン、アセチル基がそうである31。 物理的性質酢酸の濃度と比重の関係16濃度 (重量%)比重 (25 °C/4 °C)大部分の酢酸はこの方法によって生産されている。 メタノールと一酸化炭素を下記の反応式に従って反応させる84。 CH3OH + CO → CH3COOHこの方法は中間体としてヨードメタンを含む3段階の過程である。 2段階目の反応は触媒を必要とし、通常これには第9族元素の金属錯体が用いられる。

セラニーズ社のヘンリー・ドレフュス (Henry Drefyus) は本法の試験プラントを1925年頃に既に開発していた85。 しかし、腐食性の混合物を200気圧という高圧下で反応させることができる装置の材料が金やグラファイトのほかになかったため、当時は工業化することができなかった86。 最初の工業化はコバルト触媒を用いる方法で、ドイツの化学会社 BASF社によって1960年に小型プラントが開発された84。 材質の問題はハステロイの登場により解決されている8486。

1968年にロジウム触媒 (cis-Rh(CO)2I2−) が発見され、より低圧でほとんど副生物を発生させずに反応を進行させることが可能になった。

この触媒を使用した最初のプラントは1970年にアメリカの化学会社モンサント社によって建設され、ロジウム触媒によるメタノールのカルボニル化が酢酸製造の主要な方法になった(モンサント法)87。 1990年代後期、化学会社BPケミカルズ社がロジウムをイリジウムで置き換えたカティバ触媒 (Ir(CO)2I2−) を開発した88。 この触媒はよりグリーン・高効率であり89、同じプラントで利用できるモンサント法にとって代わった。 アセトアルデヒドの酸化モンサント法が工業化される以前には、大部分の酢酸はアセトアルデヒドの酸化によって製造されていた。 メタノールのカルボニル化と競合するほどではないが、依然として第2の重要な製造法である。 アセトアルデヒドはブタンや軽ナフサの酸化90、あるいはエチレンの酸化(ワッカー法)によって作られる91。 酢酸コバルトや酢酸マンガンを触媒とした、アセトアルデヒドの空気酸化によって酢酸が得られる92。 2 CH3CHO + O2 → 2 CH3COOH反応は過酢酸の生成を経るが、条件を調整することにより、これを主生成物とすることもできる。

副生成物として二酸化炭素、メタノール、酢酸メチル、ギ酸、ギ酸メチル、ホルムアルデヒドが含まれるが、蒸留により精製される93。 アルカンの酸化ブタンや軽ナフサを空気中でマンガン、コバルト、クロムなどの金属イオンの存在下に加熱すると、ヒドロペルオキシドが生成したのちに分解し、酢酸を与える90。 2 C4H10 + 5 O2 → 4 CH3COOH + 2 H2O一般的に、ブタンが液体状態である限界の高温で反応を進行させられるように温度と圧力を設定する。 典型的には 160–200 °C、4–8メガパスカルである。

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